みんなやってるからあなたも大丈夫でしょ理論
人は自分の周囲の環境にとても左右されやすい生き物です。
周りに影響されて物事を始めたり、終わらせたり。
いい意味でも悪い意味でも周囲にとても影響されやすい日本人は周囲の考えが“正論”になりがちなのが現状です。
私の妹なんか入った部活や進学先まで周りの子が行くから、という理由で選んでいる次第ですから正直社会に出ていいように使われるんだろうなぁ、と。会社に可愛がられるんだろうなぁと思いつつ。
さて、本題に入りましょう。
みんなやってるからあなたも大丈夫でしょ理論とは。
そのままであり、言った張本人はやってないくせに、本人の見たり聞いたりの受動的情報より、「なんかみんなやってるし、あんたも大丈夫でしょ」と無責任に意見を述べることを指します。
非常に腹が立ってならない。
あなたはやってないにもかかわらず、よくそんな大口を叩けますね、と。
あなたのその見たり聞いたりした周りの“やっている人”たちは別にそういわれて始めた人は少ないんじゃないですか。
それは自分が置かれている立場的に始めたり、肯定的に始めたり。そんな人が多いと思いますし、そんな人じゃなきゃ続かないと思うんですよね。
あなたはいいですよ、言うだけはタダです。しかも自分がやるわけじゃないから責任なんて必要ない。
「あの時言ったのは確かだけど、やることを決めたのはあなたでしょ?」
これにより何人の人が論破されてきたことか。この悪魔の言葉め!
“アドバイス”は無責任になんでも発言していいものなんでしょうか。
最近子供たちに教育をしている人たちに聞いてみれば、
「それはお前の本心でやりたいと感じやっていることなんだろ?じゃあなんでやらないんだ?やれよ!」
という趣旨の言葉をよく聞くのです。これはおかしくないか世の中の大人たちよ。
右も左もわからない子供を育て、判断ができるようにするのは大人からの知識が必要であって。
それに伴い、それは“アドバイス”と時になる。人生先に生きている“先輩”として。
それはとても必要なことであって。でもその“アドバイス”には責任を持たないんですか。
そしてなによりそれをわざわざ言う所がさらに私は嫌で嫌で。
進学にしても、進路にしても。
子供に“責任感”を持たせることは非常に大事なことですが、何故、
「俺には責任ないぜ、お前が選んだ道だぜ。道草するなよ、見張ってるからな。」
と脅かすのか。
子供を育てる一番簡単で効果がある方法は、
興味の芽を絶えず生やさせ、それを大きくすること。
育てる人にはそれをする義務がある。
それを脅かすように、責任はすべてお前だと言わんばかりにやるのは少しおかしいんじゃないかと。
そんなことを言わなくても素敵な子供は育つと思うし、もっと優しく寄り添って一緒に歩んでいくのが子供を育てる人のやるべきことなんじゃないかな。
題名とまとめが少しずれちゃいましたが
気にしないでください(;´・ω・)
―若い子供にそこまでの責任を負わせる、そんでもって自分は関係なーい。責任なーい。なんておかしいだろ、とペット蛍でした―